毎日のもめ事で・・・
低学年を担任すると違和感を持つことがありました。
子どもたちが、もめ事を「ごめんね」「いいよ」で終わろうとすることです。
ぜんぜん「ごめん」と思っていないのに、ぜんぜん「いいよ」と思っていないのに・・・
この謝罪の儀式を行えば終わると思っている先生がいるなんて・・・
4月3日の朝日新聞「教育の小路」の記事を読んでの感想です。
低学年は特にもめ事が起こっても、理由がわからない、お互いどこが悪いのか理解できない・・・
なので、ついつい「ごめん」「いいよ」で終わりたいのもわかります。
でも、納得していなければ「ごめん」と謝るのはおかしいし、まだ許していないのに「いいよ」というのはおかしいのです。
中には「ごめん」「いいよ」が呪文のようになってしまう子もいます。
でも、お互い納得していないことはそれぞれの心にわだかまりとして残り、結局教師不信につながったり、大きなもめ事の引き金になったりします。
もめ事の解決は心のわだかまりを解決していくことだと思います。
ですから時間がかかります。
教師としては、わかりにくいことでも分かろうとすること、お互いの子の気持ちを考えることそれに即した解決を図ることです。
すぐに見せかけだけの和解をすることが良い事ではありません。
本当に相手のことがわかっての和解なのです。
時間がかかってもいいし、次の日に持ち越してもいいのです。
または、完全に和解しなくてもいいのです。
大ごとになりそうなことは、保護者に子どもより先に説明しておきましょう。
子どもの一方的な意見を聞いた後では、子どもの意見だけを信じる保護者もいますから。
一つひとつのもめ事を丁寧に解決していくと、先生の考え方が子どもたちに浸透します。
そこが教師という仕事のやりがいでもあります。
子どもたちはいつでも先生を見ていますから、先生は自分の生き方を子どもたちに見せてあげてください。