登呂遺跡
言わずと知れた弥生時代の稲作の集落の遺跡です。
私の小学生の頃は、弥生時代の遺跡というと「登呂遺跡」!
教科書にも登場する有名な遺跡なのです。
実は30年ほど前にも訪れているのですが、赤米が植えてあった水田と竪穴住居があったのしか覚えていません。
今回行くと博物館もありました。(当時はなかったよう)
そこでは1階で体験が出来るということで、その日は幼稚園の子どもたちがいろいろな体験(遊び?)をしていました。
2階が資料館になっていて展示物や映像で登呂遺跡のことを知ることが出来ます。
そこで謎がとけました!
「なぜ、我々世代にとって弥生時代の遺跡=登呂遺跡なのか?」
登呂遺跡は発見されたのが第二次世界大戦中で、本格的に発掘されたのがとても古い遺跡なのです。
その後吉野ヶ里などの遺跡も見つかり今ではいろいろな所で多くの遺跡が発掘されていますが、当時はここしか本格的に発掘されていなかったのですね。(もうかれこれ50年も前ですから)
また、興味深かったのは、稲作の伝わり方です。
中国大陸や東南アジアから西日本に伝わった稲作は東に伝わっていったのですが、順に日本列島を北上したのではなく、東北地方を飛ばし、青森の方に伝わりそこから南下して日本列島全土(北海道を除く)に伝わったらしいのです!
三内丸山古墳を見た時、日本の北の端にこんな大きな集落があったことに感銘を受けたのですが、稲作もいち早く伝わっていたなんて・・・ビックリでした。
竪穴住居や高床倉庫などを見学して遺跡公園を後にしました。