「合理的な配慮」してますか?
昨今「合理的な配慮」という言葉がよく使われます。
授業、テスト、受験・・・
文科省からも「合理的な配慮をするように」と求められていることが多くあります。
さて、できているでしょか?
日本の学校では(いや、先生はかも)、「合理的な配慮」が苦手なのではないでしょうか。
なぜなら「合理的な配慮」は画一的ではないからです。
ある子には「いいよ」、でもある子には「だめです」ということが出てきます。
例えば、宿題の量をある子にだけ減らすとか、ある子にだけタブレットを使うのを許すとか。
そういうことを不公平と感じてなかなか踏み切れない。
また、他の子どもや保護者からの「なぜその子だけ?」の問いに答えきれるのかが不安でできない。
つまり、社会の認識が変わっていないので新しい方向には行きにくいのです。
そして、自分が今まで経験していないことは、なかなか理解できにくいので取り組みにくいということもあるでしょう。
誰しもが自分の力を最大限に生かせるような教育が理想だと思うのですが、受験のための競争第一の教育が行われてきたから、「合理的な配慮」も許せない社会になってしまったのではないでしょうか。
ただ、これを変えるのも教育しかないと思うのです。
少しずつでも社会に浸透させるには、教育現場で地道に「合理的配慮」の必要性を訴えるしかないのでは?
そのためにも臆さず、ひるまず取り組んでほしいと思います。
待っている子どもたちはいっぱいいるはずです。