道徳の時間好きですか?
指導要領の改訂で、道徳が教科化され教科書ができ、評価がされるようになりました。先生方はもう慣れたでしょうか?
ある見方をすれば、毎週一時間やることが決まっていて、発問や書かせることも本に従っていればいいわけですから楽かもしれません。以前のように、教材を考えたり資料を作ったりしなくてもいいわけですから。また、説教をして道徳の時間終了とか、道徳を年に数回しかしないということもなくなるでしょう。
けれども、子どもの道徳性が上がるとか、将来の犯罪率が低下するとか、そのような効果を考えているのであればどうなのかなと思います。また、人生を生きていく中での、考える指針になるような道徳の授業をするにはなかなか難しいのではないでしょうか。
教科書で出てくるものを子どもたちは、授業の中のもの、勉強するためのものと考えてしまいがちです。これは、算数や国語でも言える事なのですが、子どもにとって学校で習うものはテストを解くためのもので、現実の社会で使われているものではない。算数でも文章題になるとイメージがわかなくてできなかったり、実際の場面ではどうしていいかわからないということが出てきます。
いかにして教科書の中で学習することを、現実と結び付けるか。それができれば学習のモチベーションも上がるし、もっと深く考えるのではないかと思います。
私は現役時代そこに悩んだのですが、なかなか解決できませんでした。道徳に関しては、本当に教科書だけでやっていていいの?とその時も今も疑問に思います。やらないよりやったほうがいいのですが、体を使って実際に行動してみるとか、メディアを使ったりしていろいろな人の話を聞くとか、実際の現場に立って考えたり、より多方面の考え方を知ったり、違う考えの人の立場について考えたり、そんな活動も大事ではないかと思います。
道徳はとらえがたいものですが、一人の人生をよりよくしていくための考え方を学べる場であってほしいですし、一人ひとりが充実した人生が送れる社会はきっと平和な社会だと思うと、道徳の時間も大切な時間ではないかと思います。
次の改定では、道徳の教科書に文章教材だけでなく、それ以外の教材もあればいいのにと思います。