きぬさや自由帳

日々思うこと、旅日記、子育てのヒントなど

子どもは先生を見ています

先生の思いと子どもの思い

朝日新聞に「僕の好きな先生」という連載記事があります。先週まで久保敬先生の新任当時の話が、日曜日からはその当時の子どもにインタビューした記事が書かれています。

そこに、当時の児童が先生から期待されている答えを察して、喜ばれるであろう答えを日記に書いていたということが書かれていました。


ついつい大人は、期待したり通りのことを言わせたり、行動させたりしたくなります。例えば授業の発問にしても、あらかじめ用意した答えがあって、その答えが出るまで子どもを指名していく。子どもたちは一生懸命先生の用意した答えを当てようと推理するわけです。察しの良い子が多いクラスになると、1年もすると先生の癖をつかんで、「こんな風に答えると先生は喜んでくれる」というところまで考えて答えを出してくれます。なんだか自分の教え方が上手くなったような気がするのですが、本当は子どもたちの察しがいいだけなのです。

人の気持ちを察するということは、社会で生きていくうえで大事な事かもしれませんが、「自分で考えて答えを出す」ということとは別です。逆に妨げになっていることの方が多いでしょう。

そう考えるといい授業やいいクラスづくりはなかなか難しいということです。

昔はがんがん引っ張っていく先生が、いい先生だったかもしれませんが、これからの世の中、まずはいかに考えさせるかということが一番大事なのかもしれません。授業において、正解・不正解がはっきりしていることでも、正解に行きつく考え方は一つではないことも多いでしょう。また、不正解でもなぜ不正解なのかが大事になってきます。教え込むことより考えさせることが大事と言われるのはそこでしょう。先行きが不透明な世の中にあって、考えることが身に着くと、どんな状況でもアイディアで切り抜けることができる可能性が広がります。

クラスづくりでも先生が引っ張っていくとまとまっているように見えますが、本当に子どもたちが考えて行動しているかは疑問です。まとまったクラスを目指すより、日々子どもと格闘して子どもの変化を感じられたらいいのではないでしょうか。


久保敬先生が新任の時に、自分の思う通りに子どもたちが動かないことにしんどくなったと書いてありましたが、一番の敵は自分の中の勝手な理想なのかもしれません。上手くいったと思う時は、子どもたちが上手く合わせてくれた時なのだと思います。

私は、その時のクラスの子どもたちに合わせて、みんなが少しでも居心地のいいクラスになるようなお手伝いをしていくのが先生の役割だと思います。もちろん「ダメ」なものは「ダメ」。危ない事や人を傷つけることは見逃さないことは当然のことです。そこで譲歩してしまったら居心地のいいクラスができないのは当たり前です。


忘れてはいけないのは、子どもたちはいつも先生を見ています。
「どこまで許される?」「何をすれば喜ぶ?」「どんな生き方をしている?」しっかり見てもらって、子どもたちのこれから生きていく上での一つのモデルになれるようにしてください。