きぬさや自由帳

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国際女性デーによせて

国際女性デー

8日が国際女性デーということで、最近の新聞に男女の格差問題の記事が多くみられました。

幸い私は教師という職業に就くことができたので、男女の格差を感じることは少なかったのですが、世間を見渡すと本当に理不尽な格差にビックリします。

*堺荒山公園梅林

ただ、自分の考え方を顧みた時、やはり男女を平等に見ていなかったのではないかと思いいたります。

私の母親は専業主婦でしたから、当然私も結婚したら仕事は辞めるものと思っていました。面接試験の時に「子どもが出来たらやめます。」と宣言したくらいです。夫にもしものことがあったら子どもを育てられないという思いと、働いているうちに仕事が楽しくなってきたことで、最後まで勤めあげることになったのですが、やはり昔からの家族像というものが私の中にあったのだと思います。


実際若い頃は、男のようにどこにでも行って自由に好きなことがしたいと思いながら、女だからそこまで責任がなくてよかったなんて思っていました。

また、仕事をしていても、「女は家事分担が多くて当たり前」と思っていましたし、「仕事の出来ない男の人は・・・。」「男なら管理職を目指すべき・・・。」なんて思っていました。つまり女性の中にも格差があって当たり前なんて思っているところがあるんですよね。その方が楽だからと・・・。

家事を結構手伝ってくれる夫がいて、男女の数がほぼ同数で仕事内容も変わらない職で、男女平等を教える立場の人間であってもこんな考え方だったのですから世の中の人の考え方はまだまだ変わっていないんじゃないでしょうか。


でも、これからの世の中「男だ女だ」なんて言っている場合ではないはずなのです。人口が減り仕事ができる人口はどんどん少なくなっていくのです。女性の能力を生かさないのは本当にもったいないですよね。反対に男性でも適正は様々ですから、男性だからと言われるのもしんどいのではないでしょうか。その結果よりストレスが増えて精神的にしんどくなる人が増えているような気がします。


これからの世の中は、男女機会均等と言っても、今までの男性のように女性も猛烈に働くことを目指しているのではなく、男だから女だからという思い込みをなくし、全員をひとりの人間として扱うことを前提として、みんなが人間らしく働き暮らせる社会を目指していかないといけないのだと思うのです。

今や、高度経済成長期の成功体験にすがっていてはいけないのに、ここに来ても、この国を動かしているのはとても古い頭を持っている人たちなのです。他の先進国のように女性が働きやすい国を作っていかないとこの国はどんどん衰退していくのではないかと心配します。

ただ、政治の責任だけでなく、個人それぞれの心の中にある男女差別に気付き、それをなくしていかないと世の中は変わりません。

今若い人の中では少しずつ考えは変わってきているのではないかと思うのですが、「男ならこうあるべき」とか「女はこうしないと」なんていうのは時代のニーズによって創られた考えなのですから、これからは一人ひとりが自分らしく生きられる、能力を発揮できるようにすべきです。


女性が子どもを産む性であることは動かしがたい事実ですが、それがハンディにならないようにするのが社会制度だと思います。
うまくいっている国もあるのにどうしてそこをお手本として改革しようとしないのでしょうね。

国を動かしている人に解決する気持ちがない、解決することを望んでいないのではないでしょうか?それはその人たちが困っていないからでは?でも、民主主義の日本では多くの人の意識が変わってくれば政治に反映されるはずです。なぜならば我々が政治家を選んでいるのですから。