「なぜ叱ってしまうのか」
9月16日付の朝日新聞のオピニオン&フォーラムに、「なぜ叱ってしまうのか」という臨床心理士の村中直人さんへのインタビュー記事が載っていました。
ほめて育てたいのに叱ってしまう。叱っているうちにだんだん止まらなくなる。私たちはなぜ、叱るという行為にふりまわされるのか。という文で始まる興味深い記事でした。
*別府:坊主地獄
要約すると、
叱るという行為には即効性があり、処罰感情を満たせるというご褒美もあるので、依存性がある。叱ることに行動を修正する効果はあっても、根本的な意味はない。つまり教育的な効果があると思っているのは叱る側だけで、人が学んだり成長したりするという点ではほとんど意味がない。
社会には「親なら子どもの行動をコントロールせよ」というプレッシャーがある一方、「子どもは褒めて育てましょう」とも言われる。これにより親の苦悩が深まり「叱る依存の落とし穴」にはまってしまうことが危惧される。何らかの生きづらさがあった時、無意識に生きづらさを一時的にやわらげる物に依存するようになり、余裕のない時にはついつい叱ってしまう。叱ることで生きづらさを和らげようとする。叱ることがやめられなくなった延長線上に虐待やDVがある。
「叱る依存の落とし穴」にはまらないためには、自分で生きづらさの正体を探ることだ。ただ、虐待やDVの加害者は悪いことをしていると思っていないので医療や公的支援が必要。
家庭以外の会社などでも、パワハラを恐れて叱ることを怖がる風潮も強まっているが、その解決策としては叱ることの効果を過大視しない。効果があると思っていると依存し行き過ぎる。職場で自由に意見できる「心理的安全性」があれば処罰感情もわきにくい。
できるだけ叱らないためには、「叱ってしまう自分」を叱らない。我慢すると余計にやめられなくなる。相手が行動しない理由が「できない」からなのか「しない」からなのかを見極める。その上でどんなサポートがあれば「できない」が「できる」に変わるのかと考えてみる。叱らないで良い方法を試行錯誤するうちに叱らなくなるが理想。社会が叱られた苦痛から学んでこそ成長するという「苦痛神話」から脱却しないといけない。
*別府:竜巻地獄(間欠泉)
アウトラインだけを抜き出しましたが、本当は全文を読んでいただきたいです。正にその通り!と思うことがいっぱいでした。何となく「苦痛から得られるものが役に立つ」とか思いがちですが、実はその周りにあたたかいものがあったからこそ身に付いたものなのではないかと思い至ります。
子どもを叱らないようにするのは難しいかもしれませんが、まず、叱っても効果がないことを知ること、自分のイライラの原因を探ること、そして、その子にとって「できない」のか「しない」のかをよく見極めて「できる」に変えるための新しい方法を考えていく。そんな練習をしていくことで、「叱る」に依存しなくてもよくなるのではないでしょうか。
イライラしている時は、子どもと少し間隔を置きましょう。そして、何事でもすぐには無理です!それがまた、ストレスになります。ゆっくりといきましょう。少しずつ、少しずつ・・・。
*別府:竜巻地獄