『助産師桜井裕子さんのインタビュー記事』を読んで
6/14付けの朝日新聞朝刊の11面『助産師桜井裕子さんのインタビュー記事』を読んで、昨日書いていた私の記憶がやはりそうだったのか、と思いました。
記事は学校で子どもたちに性についての講演をし、悩みに答えている桜井さんが、最近の子どもたちや若者に多い悩みや性教育をするようになったきっかけ、最近の性教育についてのインタビュー記事です。
その中で学校の性教育についての紆余曲折についても書かれていました。学習指導要領の小学校5年生の理科では『人の受精に至る過程は取り扱わない』との「はどめ規定」があります。それで、私はあえて性教育として取り扱っていたのです。
それは、1992年に性教育元年と呼ばれた改定があり小学校から『性』を本格的に教えるようになったのなったのですが、1998年の改訂で『妊娠の経緯は取り扱わない』『人の受精に至る過程は取り扱わない』と明記されました。中学校で『性交』『避妊』などの言葉を使ったとして、教育委員会に指導された事例もあり、性教育自体下火になってしまったのです。実際、現場の教師としては子どもたちのために一生懸命用意しているのに、そのことで処罰されたのではやっていられません。
性暴力の社会問題化をうけ、昨年、文科省などが「生命(いのち)の安全教育」の教材を作りました。桜井さんは性暴力や性被害を予防するためには一歩前進だと言っていますが、性について基本的なことを教えていないのに、安全について教え行動制限しているのはちぐはぐだとも述べています。
また、「包括的性教育」についても「幼いときから、何かをするのには相手の同意を得ること、人権の尊重、性の多様性、自己決定、ジェンダー平等を教えていくものです。性と生殖に関することは一部でしかありません。カリキュラムに沿った教育で初交年齢が高くなることが確認されています。」また、「性に関することは人の人生そのものであり、性教育は、子どもが自分の人生や将来のことを考える足掛かりだ。」とも述べています。
実際、命に係わる大切なことをしっかり教えず、何かいけないこと、人前では話してはいけないこと、などという時代錯誤な感覚を持っている人たちが子どもたちの知る機会を奪っていることで、結局は多くの子どもたちが被害に合ったりしているのではないかとも思いました。
時代に合わせた教育というのが求められているのではないでしょうか。
*白い紫蘭