きぬさや自由帳

日々思うこと、旅日記、子育てのヒントなど

子どもの権利条例って知っていますか?

日本は「子どもの権利条約」を批准していますが・・・

2月18日の朝日新聞の土曜日版に「はじまりを歩く 子どもの権利条例(川崎市)」という記事がありました。川崎市が全国に先駆けて2001年施行した「子どもの権利条例」を立体的に「見える化」するために、2003年に設置された「川崎市子ども夢パーク」通称「ゆめパ」のことが書かれていました。

そこは「子どもの権利」を体感する空間として作られたそうです。どんな権利か?

「ありのままの自分でいる権利」「自分を守り、守られる権利」

ここでは見落とされてきた子どもたちの当然の権利を明記し、保証する。そして、子どもたちが自分を取り戻し、安心して人間関係を築ける居場所の確保をするために、この中には学校に通わない子どもたちのための「フリースペースえん」があり、多くの子が利用しているそうです。


子どもたちの「ありのままの自分でいる権利」って学校で保障されているのだろうか?

それは集団生活の規律を重んじる中で犠牲にされてきたような気がします。多くの子どもたちを同じように教育しようとするとなかなか難しいことです。それだけにそこからはみ出したからと言ってその子が悪いわけでもない。学校にはなかなかなじめなくても、どの子にも「ありのままの自分でいられる」居場所が用意されるべきだと強く思います。


また、「ゆめパ」の創設に関り支えてきた西野さんの「本人が望まない学校復帰は目指さない」という主張にも心を動かされました。

不登校の問題にかかわるとゴールは必ず学校復帰。本当にそうなのだろうかと疑問に思っていました。もちろん復帰したい子には復帰させてあげたいと強く思いますが、そうでない子もいるように思うのです。学習は学校でしかできないわけではないと。そして、その子に必要なのが本当に学校教育なのだろうかと。

今、いろいろな所で多くの取り組みが行われつつあります。どんな子も自分のあるべき姿で、居場所があり、自分の受けたい教育が受けられるのが理想です。心をけずって学校教育に合わせないといけないのは、やはりおかしいのではないでしょうか。

いろいろな場所で楽しく学び、学ぶことが楽しいと思える人が増えれば増えるほど国の未来も明るいのではないかと思うのです。そのためには社会全体の考え方が変わっていかないといけない時に来ているのではないでしょうか。

新学年を前に塾選び?

塾に行っていますか?

いろいろな所で「もうすぐ新学年」という言葉が躍っています。そして、塾や教材の広告がいっぱい!子どもを持つ親としては気になりますよね。

中学生ではほとんどの子が何らかの学習塾に通っているとか。塾にいかないと学習についていけないというのもおかしな話だと思うのですが、教育にお金をかける違いが学力に出ているというデータを見ると「無理をしてでも行かせた方がいいのかしら」と思ってしまいますよね。

美ら海水族館ジンベイザメ


今の世の中は学歴がすべてではなくなってきていて、どれだけ自分で考えることができるかが大事だと言われています。学校の成績が良くても自分で考えない子は社会に出てつまずくことが多いです。そこで重要になってくるのが楽しく学べることではないかと思います。

人と比べて自分ができないと思うとモチベーションを保ちにくいので、なんでもできた方がいいのですが、目標もなく努力できる人間は少ないです。「好きこそものの上手」で、好きになること、楽しくすることが「やる気スイッチ」ONにする早道だと思います。

*ウミガメ


せっかく安くないお金をかけるのであれば、子どもに合った塾を選ぶべきだと思います。友だちやママ友の話も参考になるでしょうが、子どもは一人ひとり違います。他の子に合っていても自分の子に合っているとは限りません。体験などをしてみて、子どもが行きたくなる塾が良いと思います。

子どもに合った塾をと考えているなら、まず我が子の性格を分析してみてください。学習習慣は身についていますか?自分からやるタイプですか?言われてやるタイプですか?ひとりでも通えますか?教科の好き嫌いは?などを考えてみましょう。するとどんな塾が合うのかわかってくると思います。

また、どんな目的で行くのかも大事です。ただ何となく、みんなが行っているからではなく、何のために行くのかによっても塾選びが変わってきます。受験目的なのか補習目的なのか、またはより高度な事がしたいのか。そこを子どもと相談しながら考えないといけません。

*イトヒキアジ


大事なのは大人だけで決めないで、子どもの意見を聞くことです。やりたくない、行きたくないところならさぼってしまいます。まじめな子ならいやいやでも続けますが、成果が上がらないことが多いです。勉強するのは子どもなのですから、無理やり通わせるのは時間とお金の無駄です。選択肢は与えても、自分で選ばせることが続けさせる秘訣です。ただ、人間関係などいろいろな要素がありますから、通ってみて合わなければ無理に続けさせないことも心に留めておきましょう。

地域に塾がたくさんあれば選べますが少ないところでは選ぶのは難しいでしょうし、送り迎えが無理などの事情もあるかもしれません。そんな時はネット教材や通信教材などいろいろな選択肢があると思います。かなり高額な物もありますからここでも本人のやる気が大事です。もちろん保護者が教えることもありなのですが、この場合はかなりの覚悟が必要です。何故ならばなかなか冷静に教えられないからです。わからないところだけ教えるなどの工夫が必要でしょう。

うちでは私も子どもも夜に塾に通うのが嫌だったので、教材を与えたのですが、子育てを終えて振り返ってみると、どの教材もその他の習い事も本当に役に立っていたのか疑問です。「ほとんどは無駄だったかも・・・。」と思います。でもきっとその無駄も子どもたちを作ってきた大事な部分なのではないかとも思います。

子育てに正解はありません。塾選びにしても子どもと一緒に悩んで前進していくことが子育て、親育ちなのではないかと思います!

ジンベイザメ

 

教員・保育士・介護士 共通することは?

教員・保育士・介護士・・・ダークな職業?

昨年の公立小中高の教員の病休の数が最多になったとの文科省の報告がありましたが、コロナの影響でより仕事は増えるし、教員間のコミュニケーションは取れないし、人員は配置されないし、精神的にしんどい人が増えるのは当たり前ではないでしょうか。

保育園や老人ホームでの虐待も話題になっていますが、これも人員がもっと多ければ、ゆとりができるし、他の人の目も入りやすく防げる可能性が多いと思います。

担い手の問題に関して言えば、老人福祉と保育、教育の問題はすべて根が同じのような気がするのは私だけでしょうか?

どれも責任が重く忙しいのに報酬が少ないため人手不足になり、それで一層忙しくなり人が集まらない。ますますダークな職場になっていく。


これらは直接人にかかわる仕事です。手抜きすれば下手をすると命にかかわる。とても責任が重く、必要不可欠な仕事なのに世の中からは軽く見られているのではないでしょうか。

出石城

経済成長時には教員も給与が少しずつ上がっていましたし、不況時に潰れないということで、公務員である教員が花形の職業だった時代もありました。しかし、その後世の中は長い経済低迷期に入り、教員の給料も上がらないというより下げられることに・・。教員に限っては、一律4%の上乗せで残業代も出ないのです。また、時代のニーズで仕事はどんどん増えていきましたが、人員は増えません。

子どもの減少に伴い、採用がなくなり正に教員になれない時代を経て、団塊世代の大量退職に伴い多くの採用が行われるようになった時には、教員はダークな職業になっていたのです。

彦根城


おまけに今、何でもかんでも学校のせいにしていませんか?子どもが事件を起こしても自殺しても学校は何をしていたのかと追及される。日常でも保護者からの突き上げも多く、昔のように先生に対する「尊敬」なんてありません。「尊敬」が欲しいわけではないのですが、どちらかというと学校は文句を言っても反発されない、文句のいいやすいところになっているのです。(もちろん学校がすべて悪くないわけではありませんが。)

「はあ?そう言われても・・。」というようなご意見も持ち込まれます。でも、保護者と喧嘩したら子どもに悪影響が出ますから、まさに「ご無理ごもっとも」なんでも受け入れざるを得ないのです。ストレスが溜まります。これは、きっと幼稚園や保育園、老人ホームなどでも一緒じゃないでしょうか。みんなお世話になるところなのに、人格形成に大事な所なのに、世の中から大事にされていないのではないでしょうか。それでは、ますます仕事として避けられますよね。

彦根城

「教育は百年の計」です。国は百年後を見据えた教育をしてほしいと思います。どんな国にするために、どんな人を育てたいのかを。そして、そこにこそお金をかけないといけないのではないでしょうか。

まあ、その政府を選んでいるのは私たち国民です。つまるところ、教育などを重視していないのは私たち?

投票率が50%を切っている我が国は、誰かに政治を丸投げしても上手くいく平和な国なのかもしれません。でも、国民みんな(特に若い人)が政治に関心を持って悪いところを直そうとしないと日本の将来は明るくならないような気がするのですが・・・。

「すごい」ってどういうこと

子どもの言葉気になりませんか?

中学校の美術での対話型授業が取り上げられている新聞記事の中で、「すごい」という子どもたちの言葉を「色、形、雰囲気」で置き換えさせるということをされていました。

対話型の授業をされている先生も多いと思うのですが、子どもたちの言葉にこだわっていますか?

子どもたちの会話の中で、よく「すごい」「別に」「なんとなく」など曖昧なニュアンスでとらえるような言葉が使われていますよね。そのままにしておくと、相手に教えてあげたり、感想を述べたりするときに真意が伝わりにくいです。そこに意識させることで、詳しく伝えることができると思うのです。

*京都嵐山鵜飼

最近の子は語彙が少ないと言われますが、成長の途中の子どもたちにとって仕方ない面はあると思います。また、家庭で話される語彙数が子どもの使う語彙数になってきますから、会話が少ない、語彙数の少ない家庭では当然少なくなってきます。けれども自分の気持ちを伝える時、コミュニケーションを密にするとき、やはりある程度の語彙数が必要です。

それ例外での語彙数の少ない原因の一つが、その「すごい」「別に」「なんとなく」などの曖昧な言葉ではないかと思います。語彙の少ない子ほどこのような言葉を多く使っているように思います。はっきり言うとちょっと雰囲気を壊すから曖昧にしているならいいのですが、とても便利な言葉なので、子どもがこの言葉だけで済ませようとすると結局真意を伝えたい時にも伝わらなくなってしまいます。


授業中にはできるだけこのような言葉を具体的に他の言葉で表すように促すと、自分でも漠然としていたことが見えてくる
と思います。それは、それらの言葉を否定するのではなく、本当はこんなことだと気づかせてあげて語彙を増やすことになると思うのです。

「答えは○○です。なぜなら・・・・・。」

こんな風にいつも自分が考えた筋道が説明できれば、自分の考え方をより整理して次の考え方に進むことができ論理的な考え方ができてきます

「なぜそう思ったの?」と聞いた時、「なんとなく。」という答えでOKにしてしまうと、いつまでたっても論理的な考え方は身に付きません。


語彙数を増やし、論理的な考え方を身につけるためにも、少なくとも授業中には、曖昧な言葉を使わないように指導しないといけないと思います。

私は、「答えを出すためには、必ずいろいろな事を考えるはずだから、それに気づくことが大事だよ。」とか「あてずっぽうでも何かの根拠はあるはずです。それが何かを探ってみよう。」と言っていました。

子どもは問い返すと何かひねり出してきます。そしてそれに慣れてくると授業では曖昧な言葉を使わなくなります。

みんなが自分の意見を持ち、それを伝え合うことができ、分かり合えたら楽しい授業になると思いますし、子どもたちの語彙力も着くと思います。

 

いじめって・・・むずかしい 3

自分の子がいじめられているかも?と思ったら。

自分の子がいじめられているかもと思ったら、iいきなり問いただすのではなく、まずしっかり観察してみてください。普段と違うことはないか。そして探りを入れましょう。もし話してくれたら、まず寄り添ってください。本人も悪いかもしれないけれど、まずは本人の気持ちを認めてあげることが大事なので、話をすべて受け入れてください。ただ、全部を真実とは思わず冷静に見極めてください。そして、学校と話し合って今後のことを決めてください。親には言い出しにくいけれど、言えばスッキリするということもあります。

*タイ プーケットにて


私の上の娘は小学校の5年の時、靴や筆箱を隠されるいじめにあっていました。筆箱の時は私に言わなかったのですが、さすがに靴を隠された時は履いて帰る靴がなく、上靴で帰ってきたので言わざるをえなかったのです。なぜ、言えなかったのか・・・。大事な物をなくして怒られると思っていたのです。「買ったばかりの靴をなくしてごめん。」というのが最初の言葉でした。「そんなことは気にしなくてもいいよ。」と伝えると、とてもホッとしていました。その後話を聞いて筆箱も隠されたのがわかったのです。娘の学級の女子は結構気の強い子が多かったので、そんなこともあるかもとは思っていたのですが(これは教師のカンです)、すぐ娘と二人で学校に行って担任の先生に話し、学校の中を探しました。無くなったのがクラブの時間だったので担任の先生は靴がなくなったのを知らなかったのです。担任の先生に事情を説明して注意して見ておいてくださいとお願いしました。筆箱は出てきませんでしたが、靴は2階のひさしの上にありました。娘は私に話せたことですっきりしたようで、学校を嫌がることもなく、それ以降物が隠されることはなかったようです。娘も少し強くなったのかもしれないと思いました。


小さないじめから大きないじめ、多分ほとんどの人がいじめられたことがあると感じているでしょう。人とかかわっていて嫌なことが起こらないわけがないですから、それを相手の故意だと思ったらいじめられたと思うでしょう。

子どもだけでなく大人の世界にもいじめがあるのですから、いじめは無くならないと思います。気を付けなければならないのは、子どもは未熟ですから、視野が狭くなりやすいです。大人でもハラスメント(これもいじめですよね)で命を絶つ人がいるのですから、子どもならなおさらです。

特に、最近はいろいろな手段で様々な情報が手に入ります。その中にはとても危険な情報もあります。

そんな状況で子どもの命を守るにはどうすればいいのでしょうか?

どんなことがあっても簡単に命を絶つという選択をしない、ある意味強く、ある意味柔軟な人間になってもらうことだと思うのです。いじめをなくすことは不可能ではないかと思っている私は、そんな子どもに育てたいとずっと思って教壇に立っていました。どんな事にも立ち向かう、または、身をかわす、逃げることのできる、そんなしたたかで強い人間になって欲しいと願っていました。教師を卒業した今でも一人の大人として強くそう思います。

子どもがいじめを感じて行き詰ってからでは受け入れてもらえないことが多いので、普段から困ったことを言える関係を作ること、困った時どうしたのかという自分の経験などの対処方法を話しておく、いじめにあったらどうするかなどを時事問題として話し合うなど、できることを機会をとらえてしておくことが大事ではないかと思います。

いじめって・・・むずかしい 2

いじめ、どこが難しいのか?

いじめの問題は本当に対処が難しいです。とらえ方は人それぞれですから、同じ行動をとられても傷ついたと思う子や、仕方ないと思う子、気にならない子もいます。また、我慢する子も大騒ぎする子もいます。ですから客観的に見る目も大事なのです。また、一部分を見ただけでなく、前後の行動や普段の行動も把握しないと真相はわかりません。

賛否両論あるのがわかった上であえていえば、私は学校の中にカメラを設置して見える学校にした方がいいのではと思うことが多々ありました。普段の子どもたちの行動を見てもらったら、安易に他の子だけを批判したりしないのではないか、そして私たちも子どもの行動をより把握しやすいのではないかと。


いじめの多くは教師の見ていないところで起こります。言葉できちんと伝えられる子、自分の気持ちを伝えられない子、言葉の少ない子、嘘を平気でつく子など、いろいろな子がいます。それは子どもたちがみんな発展途上なので仕方ないのですが、それだから余計に真相を知るのは本当に難しいのです。ですから、いじめというものがとても扱いが難しく、ケースバイケースでみんな違うということをまず理解してほしいです。多くの教師はいろいろな仕事の中で子どもたちをより良い方向に導こうと努力しています。ただ、全部を把握するのが難しいのもわかってほしいのです。

そして、いじめられたと思って傷ついた子にも、いじめてしまう子にもきちんと指導しないといけません。いじめる子は「してはいけない。」と叱ってもなかなかやめられない事情を持っている子が多いです。私の経験ではいじめる子の方が問題を多く抱えていることが多かったです。

つまりそう簡単にはやめられない、収まらないということです。

いじめの問題は本当に難しい、というのが40年教師をしてきた思いです。

ですから、多くの大人が子どもたちの様子を見守って育てていくことが大事だと思うのです。多くの目で見られているということで、いじめを減らすことができますし、いじめられても助けてもらえるという思いが子どもたちを救うのではないかと思います。

人は自分の心が豊かな時は他の人をいじめることは少ないとも思います。寂しい思いやイライラした思い、自尊心の欠如がいじめを生み、それが広がっていくように思います。そういう意味では、いじめをする子にも救いの手を差し伸べていかないといじめは無くならないでしょう。海外のようないじめる子へのプログラムが必要ではないかと思います。

・・・つづく・・・

いじめって・・・むずかしい 1

新聞にいじめ関連の記事がでるといつも思ってしまいます。多くは、学校や教育委員会を批判する記事が多いのですが、本当に学校が悪いのだろうかと。どんなことでもそうですが、一部の報道だけでジャッジはできないと思うのですが、特にいじめの問題は難しいと思っているので、真相はどうなのだろうと気になります。

もちろん、学校や先生が起因で起こったいじめもあるでしょうし、対応が悪い場合もあるでしょう。中には責任逃れのための隠ぺいもあるかもしれません。でも、いじめの対処は本当に難しいし、いろいろな場合があるのも知っておいてほしいのです。


「いじめ」の今の定義では、本人が「嫌だ」と思うことをされたらいじめです。
そして、実際に陰湿ないじめがあることも事実です。そこを否定するものではないのですが、「お互い様」な事をしているのに片方の子はいじめられたと言う。そんなこともあります。

私の経験から言うと、仲間外れでよくもめるグループでは、誰かがいつでも仲間外れになっていることが多いです。順番に仲間外れにしていくのですが、やはり外されやすい子とほとんど外す側の子がいます。外されてしゅんとしている子に他の子と遊んだらと助言しても、ほとんどの子がまたグループに戻っていました。よくもめていても居心地がいいようです。そんなグループの子は、自分も仲間外れにするのですが、されたらすごく傷つく。外す側になることが多い子ほど自分が外されたらショックを受けていました。ひどい時には学校を休むということもありました。私の担任した子はもめながらでも元気に卒業していきましたが、一つ間違えたら・・・。でも、こんな場合周りがいじめたと言えるでしょうか?


また、保護者の対応もさまざまです。たいていの子どもは、自分が同じことをしていても、それは言わないで、されたことだけを保護者には言います。あたかも自分だけが被害者のように・・・。他の子がその子から被害を受けていても、我慢していたら問題にはならず、保護者が言ってくる子どもの主張だけが取り上げられることになります。そこで両方見ている先生から「お宅のお子さんも・・・」と言っても残念ながら聞く耳を持たない方が多かったです。この場合はどうでしょう?


大きくなった娘が笑いながら話してくれたのですが、小学校の時あまり好きでなかった子に「あんたのこと嫌い。」と言われたのだそうです。娘は「わたしも嫌いやけど。」と言い返したら相手の子が泣いてしまいました。すると先生に「そんなこと言ったらダメ。」と娘が叱られたそうです。その時私は「あなたならわかると思って先生は言ったのだろう。」と言いましたが、へたをすると娘はいじめの加害者と思われていたかもしれません。「泣いたら悪くない」ということはないですよね。実際子どもの中には泣いて同情をかうような行動をとる子もいます。そして子どもの中でも「泣かした方は加害者」と見ていることが多いです。泣くほうが得なのでしょうか?


私は低学年を担任した時、よく子どもたちに「泣いてるから悪くないと決まっていないよ。喧嘩したら両方から話を聞かないといけない。」と言っていました。そうすると不思議とあまり泣かなくなるのです。

・・・つづく・・・