きぬさや自由帳

日々思うこと、旅日記、子育てのヒントなど

秋の高野山に行ってきました

秋の高野山


お墓参りに高野山に行ってきました。晴天に恵まれ、秋を満喫してきました。

実は私はあまり車を運転するのが好きではないので、普通なら夫の運転する車の助手席で、半分居眠りしながら高野山に到着となるところなのですが、今回は仕事の関係で私一人!電車で行くことも考えたのですが、その方がやはり時間がかかるのです。それで一念発起!一人で車を運転して行くことにしました。これは私にとっては大冒険。長距離を運転することより、山道の方が難敵。でも、がんばるぞー!と普段より30分は早く出発しました。


カーナビをセットして進むと、普段より遠回りしている気がしたのですが、広い道だったのでまあいいか。途中からはいつもの道に。ここなら知っている!気を強くして進むと鍋谷トンネルや父鬼トンネル。私の嫌いな交互通行の長いトンネル。対向車のライトと横の壁に押しつぶされそうになりながらやっとこさ高野山の下まで。さあ、ここからがうねうねの坂道!制限時速でゆっくりと!後ろから来た車には道を譲って、お先に行ってもらい、何とか時間通り山頂に着きました。

途中の道には「土曜・日曜には駐車場がいっぱいになるので大門の駐車場からバスで送迎します」という看板がいっぱい立っていました。???なんで?行事でも?と思っていたのですが、高野山は今が紅葉の見ごろだったのです。確かに杉や高野槇の緑の木々の中にお寺の境内の楓やイチョウ、桜の木が美しい彩を添えていました。でも、平日にもかかわらず車もいっぱいで、いつものお寺さんと奥の院の駐車場しか空いていなかったので、金剛峯寺などの紅葉まで見ることはできませんでした。久しぶりの外出制限のない秋の行楽シーズン。海外からの観光客も結構な数見られましたし、旅行支援か?と思える団体客も。ここ数年、休日でも見られない人の多さでした。

お寺さんでのお参りを済ませ、卒塔婆をおさめに奥の院へ。うっそうとした木立の中の古いお墓を見ながらの道は、いつ来ても心落ち着く風景です。中の橋の駐車場から入って古い参道に入るまでの、新しいお墓の周りのススキの茂る風景や青空に映える紅葉が秋を満喫させてくれました。

帰り道は工事で対面通行のところがあったおかげで、途中で道を譲って最後尾になれたので、ゆっくり慌てず下りることができました。途中の「こんにゃくの里」で柿や野菜を買って無事下山!アクセルとブレーキを交互に操作するのに足が疲れました。車に乗っていて足が疲れるなんて・・・。

帰る途中、コスモスの花が見えたので、和泉市のリサイクル環境公園によりました。

初めて行ったのですが、めちゃくちゃ良いところでした。まず、駐車料金も入場料も無料コキアは終わりなのか、係の人が抜いていましたが、コスモス畑は満開!他にもいろいろな花が咲いていました。平日なので、いろいろな老人施設からも見学に来ていましたが、広い園内をゆったり見ることができました。平日でもこの人出なので、休日だったらもっといっぱいなのかもなどと思うと、なんかすごく得した気分で帰途につきました。


ちょっぴり疲れましたが、秋を満喫した一日でした。

交通安全の教材について

1日付の朝日新聞夕刊に載っていたのですが、

「小学生が交通安全を考えるための教材」を学校やクラス単位で無料で配布してくれるそうです。

インターネットでhttp://t.asahi.com/mienaiから申し込めます。

締め切りは11月30日です。

問い合わせ先は「キケンをさがせ みえない交差点for school」事務局へ

E-mail:mienai2022@asahiculture.com

 

色々な企業が教材を作ってくれています。これはその中の一つなのですが、私は初めて見る教材です。交通安全を子どもたちが考えていくというような教材のようです。校区の交通安全をテーマにいろいろな活動をしていたり、校区的に交通事故が多かったり、交通安全週間などの取り組みにいかがでしょうか。利用価値はあると思いますので是非利用してみてください。

これからもいろいろな所で教材などを見かけたら紹介していきたいと思っています。

いじめは無くならないから・・・

いじめを解決するには

いじめは無くならないでしょう。教師としてそれは絶対考えておかなければいけないことです。そのうえで、それをどう解決するかを考えていかないといけません。

意外ないじめもありますが、多くの場合いじめっ子がいていじめられっ子がいる。という構図が多いのではないでしょうか。いじめられている子に手を差し伸べて、守ることは最初にしないといけません。でも、一度対策してなくなるようないじめは、ほぼありません。原因がもっと根深いもののことが多いのです。


今までの経験から言うと、いじめる側の子が持っている問題の方が大きいのです。たいていの子はいじめてはいけないということを知っています。でもいじめてしまう。それはその子自身に何か、抱えている問題があるからなのです。そこを解決しないと、いじめる相手を替えるかやり方が変わるかだけです。いじめている子に寄り添うような手立てが大事です。

もう一つ、いじめられている子の方に、周りの子をいらつかせる要因がある時もあります。本人はわかっていなくても、周りの子の思っていることがわからず、周りの子をイライラさせるような言動をとっていると、我慢できる子ばかりでないので、そのイライラがいじめという形でその子に向いてしまう場合があります。本人に自覚がないので、本人からすると自分は何もしていないのにいじめられるということになってしまいます。この場合は周りの子に理解を求めることが大事なのですが、受け入れられない子も出てきます。また、いじめられている本人に「周りの子はあなたのこんなところにいらいらしている。」と説明してもわからないことが多いです。保護者にも本人の行動の問題点と学級での指導を細やかに説明して、ご家庭でのサポートもお願いし、本人と周りの成長を注意深く見守るしかないと思います。


いじめはいつでも起こっていて、なかなかすっきりと解決できません。でも、その中に人との付き合い方のヒントがあり、自分理解のきっかけもあります。子どもにとってはそれも学習の一つなのです。「いじめがあるとダメ。」「クラスでいじめがあると教師失格」などと思っていると、いじめを隠したり認めなかったりしてしまいます。それは一番避けなければならないことです。


大人の中でも無くならないいじめ。「セクハラ」「パワハラ」なんて結局いじめですよね。子どもの中で起こらないわけがないのです。そこからいかに成長を促すかが周りの大人に与えられた課題だと思います。特に教師としてはそれを大事にしないといけないのではないでしょうか。ただ、一人でできる事ではありません。いじめる方もいじめられる方も根深いものがあることが多いです。保護者や学校全体の力を合わせて向き合うことが大事だと思います。

 

いじめは無くすことができる?

疲れているこの時期 気を付けて

明日から11月。あと2ヶ月で冬休みです。行事も残り少なくなってきましたが、今までの疲れが出る頃なので、子どもたちも先生方も大変でしょう。この時期子どもたちの間で深刻になってくるかもしれないのがいじめです。


はっきり言っていじめはいつだって起こりますし、なくなることはありません。
ですから、いつも現在進行形で起こっていると思っておいた方がいいのです。

とても仲の良いクラスもありました。いじめるような子もいないしみんな仲良く見える。でも、後でわかったことですが、疎外感を持っている子もいたのです。こちらから見ていると「みんなやさしいやん。」と思っていても、本人はみんなが僕のことを認めていないと思っていたのです。卒業式の後、お母さんからそのことを聞きました。卒業式の様子を見て、「他の子が優しかったのがよくわかりました。」とお母さんに言っていただけて、本人も気持ちよく卒業していったのですが、私にとっては「えっ!いじめられてると思っていたの?」と衝撃でした。

別の学年ですが、「いじめられてない?大丈夫?」と尋ねた子から「みんながいじってくれているだけだから全然気にならない。」と返された時もビックリでした。まあ、本心でなかった時を思って注意深く見守りましたが、その後も元気に卒業していき、中学でもみんなの中で活躍していました。


「いじめ」とは自分がいじめられていると思った時点で発生するのですから、いつ発生してもおかしくないのです。正に思わぬところで発生していることやこちらがいじめだと思ったことでも本人たちの中ではそうでないこともあります。いつも、子どもたちの様子を注意深く見守り、いつでも話せる、手をさしのべられる雰囲気を作っておくことが大事なのだと思います。


いじめは無くなりません。だから余計に「どんなことがあっても生き抜いてくれる子ども」に育ってほしい!と思うのは私だけでしょうか?

子どもが人のせいにしていたら?

誰のせい?

子どもを叱った時、子どもたちがよく口にする言い訳、「だって、○○ちゃんがしてたから。」「○○ちゃんが先にしたから。」「自分だけじゃない。」「自分のせいじゃない。」よく聞きますよね。とりあえず、怒られたくないですから。

忍野八海


子どもだけではありません。少し前に交差点で起こった交通事故で、人をはねた人が「前の人がそのまま通り過ぎたので、いいかなと思って逃げた。」と言っていて、あきれてしまいましたが、身の回りでも起こったことを人のせいにして「○○さんの方が悪い。」とか「○○さんのせいでこうなった。」などと言っていることを聞くことがあります。

人のせいにしていたらなぜいけないのでしょうか?

それは、悪いところが直らないからです。人のせいにするということは、自分は悪くないと思っているということです。悪くないのに直しませんよね。つまり、いつまでたっても悪いところが直らないのです。人間は失敗をします。したくなくてもしてしまいます。けれども、どこが悪かったのか?なぜそうなってしまったのか?反省することによって次回は防げるかもしれないのです。でも、誰かのせいにすると、何が悪かったのか考えないわけですから、直すことはできません。おまけに周りから見ている人には、人に責任を押しつけているという悪い印象を与えます。


何かあったら、人のことは置いておいて、まず自分の悪かったところを考え、次回に備える。そうすることで、自分を少しずつ進化させていくことができると思います。つまり人のせいにするということは自分の伸びるチャンスをつぶしてしまうことなのだと思います。

子どもが人のせいにしていたら、気を付けないといけないのが、親のまねをしているかもということです。子どもには「人のせいにしてはいけない。」と教えても周りの大人がしていれば、説得力なしです。

「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、子どもは親の鏡です。親のしていることを映しています。自分の悪かったところを認めるということは自分が進化できるチャンスなのですから、子どもたちにも見習ってほしいところですよね。そんな見習ってほしい行動を見せてあげてください。「人のせいにしたらダメ。」と口で言ったところで、子どもたちにはできません。背中で教えるのが一番だと思います。

もし子どもの悪いところを見つけたら自分のことも振り返ってみてください。いくつになっても人は変われますし進歩できます。子どもとともにより進化した自分を作っていってください。また、子どもの良いところを見つけたら自分も褒めてください。自分の行動が正しかったのですから。

そんなことも子育ての楽しみの一つです。

 

ハマってしまいました。マイバック作り!

マイブーム到来

マイバック作りにハマっています。マイバックと言っても買い物に使うものではなく、普段持ち歩く鞄です。もともと鞄好き。でも、ブランド物には全く興味がなく、極めて実用本位。軽くて使いやすい、自分の用途に合ったバックを日夜探しているのですが、案外とこれがないのです。ほしい条件は

・リュック、肩掛け、手持ちのスリーウェイ

・軽い

・ポケットいっぱい

普段使いに便利で旅行にも持っていけるバック。最低限の三つの条件でもなかなか難しいのに、そこに色やデザインなどの付録の要望も満たしているものとなるとほとんど皆無です。

でも、より近いものを見つけると年に数点は買ってしまうので、結構な数になってしまっています。まあ、ブランドものでなく皮製品でもないので、1品の値段はさほど高くないのですが。

先日も軽くて、リュックと手持ちというバックがなんと3000円以下であったので、今まで持っていない色をつい買ってしまいました。

でも、理想のバックがほしい!

そうだ、バックを自作すればいいんだ!と思いつき、習いに行こうかと検索。でも、高いのです。年金生活者が趣味で行くのもねえ・・・。ちょっと考えました。

*劣化していたバック

先日久しぶりに出してきたカバンがなんと表面が劣化!捨てようと思ったときひらめきました。同じ捨てるなら分解してみよう!分解してみると作り方がわかる。おまけに部品などまだ使える物もある。そうだ!自分で考えながら作ってみよう。ダメ元なので、できるだけお金をかけずリサイクルで。足りないものはイマドキ百円ショップでも売っているし、ということでまずチャレンジしてみることにしました。

記念すべき第一作は、以前から思っていた、横広のカバンで、スリーウェイ、A4サイズの封筒が入る特殊なサイドポケットがあるもの。

*作品第1号ショルダーの時

作り出すとこれがオモシロイ!どの大きさのパーツを作るのか、どこから組み立てたらいいのか、部品は何を使えばいいのか、などまるでパズルのよう。後でこっちの方が先にしておかなければいけなかったとか、この辺りはちょっとおかしいから補正しようとか、考え悩みながら作りました。

試作品のつもりで、表地を家にあった残り布で、裏地は夫の古いカッターシャツと花束の包装用不織布、ファスナーは古いカバンの再利用、あとの足りないものは百円ショップで買ったので、ほぼお金をかけずに出来上がりました。ただ、家にあるもので作ったので、これから冬という季節に、夏にピッタリなものが出来上がってしまいましたが、縦20㎝のカバンなのに折りたたまないでA4封筒が入ります(あまり分厚いものはダメですが)。自分の技術が今一つなので、売り物の様にはいきませんが、もう少し修行をつめば、自分のニーズにあったバックが作れそうに気がしてきました。

*リュックにした時


ただ、こんなにいろいろな材料を使って手間暇かかるカバンが3000円以下で売っているということにビックリ!材料費だけじゃないの?こんなに安くて大丈夫なの?と改めて考えさせられました。

まあ、とりあえず、光が見えてきたので、理想のバックを目指して、マイバックづくりにこれからも楽しく挑戦していきたいと思っています。

*A4サイズの冊子を折らずにサイドポケットに入れることができます。

百聞は一見に如かず

国境なき医師団」の展示を見て広がった活動

国境なき医師団」を知っていますか、紛争地域などで活動し敵味方なく人命救助をしている団体です。先日「国境なき医師団」の展示が大阪で開かれていたのを新聞で知りました。早く知っていれば皆さんにもお勧めしたのですが、「国境なき医師団」の展示に行った時のことを思い出して、もう一度行けばよかったと思ったのです。

ムーミンバレーパーク


それはもう20年近く前になるでしょうか。当時私は6年生を担任していました。その時の「総合的な学習の時間」に国際理解教育として、「世界にはどんな問題があり、その人たちを救うのに自分たちにでもできることはないか」というような課題に取り組んでいました。その一環として、たまたま大阪でしていた「国境なき医師団」の活動の展示に社会見学を兼ねて見に行くことにしたのです。

それは子どもたちだけでなく、私にとっても衝撃でした。生まれたばかりのガリガリの赤ちゃん。手の指で作れるくらいの輪っかで赤ちゃんの腕の太さを計り、それより細いと命が危ないのですぐに点滴をしないといけないとか、カロリーメイトのような栄養食2本が1日の食事だ、とかのお話を聞いてパネル展示を見ました。その栄養食も食べさせてもらったのですが、ぱさぱさで全く美味しくないし、現地では水に溶かして食べるのだそうですが、とても食べにくかったのを覚えています。


実際に現地に行ったわけではないけれど、そこで働いていた人の話を聞き写真を見るだけでも、子どもたちの心に伝わったようでした。最終的にその年の活動は子どもたちの発案でバザーを開き、その収益をユニセフに寄付する、というところまで広がりました。

担任が話すより、まさに「百聞は一見に如かず」子どもたちの心に響いたのだと思います。当時たまたまそのような学習をしていたところに、近くで展示があったというラッキーが重なったから展開できた活動なのですが、「総合的な学習の時間」や社会科等で、実際に携わっている人にお話を聞いたり、一緒に活動をすることによって、子どもの目の輝きが違ってくるという経験は、どの先生方にもあるのではないでしょうか。それが、社会見学や出前授業の良いところだと思います。


時間も限られ、あらゆることに忙しい日常では難しいかもしれませんが、コロナが落ち着いたら、ここぞという学習に、年に一度くらいは、ほんまもんにふれるそんな機会を大事にしてあげてください。